【金雀枝の系譜】 MainPage
【登場人物】
Character
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アスク、アダム・オブ(Adam of Usk c.1352-1430)
 南ウェールズ出身の司祭。オックスフォード大学に学び、1399年リチャード2世廃位時にヘンリー4世に協力するが、
 後に批判的になり、1402年ローマに追放となる。ラテン語による『年代記(1377-1421)』を執筆。
アフォード、ウィリアム(William Ufford 1339-1382)
 2代サフォーク伯(1369-1382)。嫡子なく、アフォード家サフォーク伯は断絶。
アフォード、ロバート(Robert Ufford 1298-1369)
 初代サフォーク伯(1337-1369)。1330年、ロジャー・モーティマーを逮捕。その後、王室付の家庭教師となり、出世する。
アランデル、トマス(Thomas Arundel 1353-1414)
 聖職者、政治家。10代アランデル伯の3男。1386年に大法官、1386年にヨーク大司教となり、【訴追派貴族】を支持する。
 1397年、リチャード2世によりカンタベリー大司教職を解任されるが、1399年にヘンリー4世の側近として同職に復活する。
 【ロラード派】に対する弾圧で知られ、1401年の【異端火刑法】制定に中心的役割を果たした。
アリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d'Aquitaine 1124-1204)

 アキテーヌ公女(父ギョーム10世)で、女子相続人。イングランド王ヘンリー2世妃。
 1137年フランス王ルイ7世と結婚するが1152年に離婚、その2ヵ月後に11歳年下のアンジュー伯アンリと結婚する。
 1154年に夫がイングランド王として即位し、広大な領土を持つ「アンジュー帝国」が誕生した。
 洗練された宮廷愛や吟遊詩人(トルヴァドール)の保護者として知られ、才色兼備の誉れ高い貴婦人であったという。

アレグザンダー3世(Alexander III 1241-1286)
 スコットランド王(1249-1286)
アン・オブ・ボヘミア(Anne of Bohemia 1366-1394)
 イングランド王リチャード2世妃。
イザベラ・オブ・ヴァロア(Isabella of Valois 1389-1409)
 フランス王女(父シャルル6世)。イングランド王リチャード2世妃。
イザベラ・オブ・ウッドストック(Isabella of Woodstock 1332-1379)
 エドワード3世の長女。1376年、レディー・ガーターに叙位。
 オーストリア大公アルバートの孫、エンゲランド・ドゥ・クーシィ(ベッドフォード伯)と結婚。
イザベラ・オブ・フランス(Isabella of France c.1295-1358)
 フランス王女(父フィリップ4世)。イングランド王エドワード2世妃。
インノケンティウス6世(Innocentius VI 1282-1362)
 第199代法王(1352-1362)。フランス出身。元は法律家、トゥールーズで大学教授、判事をしていた。
ヴァランス、エイマー・ドゥ(Aymer de Valence c.1275-1324)
 ペンブルック伯(1307-1324)。【改革勅令委員会】の1人であったが、ギャヴスタン処刑後は国王派となる。
 【テンプル騎士団】のメンバー。フランス外交使節として活躍したが、1324年パリで急死した。継嗣なし。
ヴァロア伯フィリップ(Philippe de Valois) → フィリップ6世
ヴィア、オーブリー・ドゥ(Aubrey de Vere c.1338-1400)
 10代オックスフォード伯(1338-1400)。7代オックスフォード伯ジョンの2男。
 アキテーヌ時代より黒太子、リチャード2世に仕え、甥のロバート没後に10代オックスフォード伯位を相続。
ヴィア、ロバート・ドゥ(Robert de Vere 1362-1392)
 9代オックスフォード伯(1371-1388)。アイルランド公(1386-1388)。ダブリン侯(1385-1388)。式部卿(1371-1388)。
 リチャード2世の幼馴染みで、寵臣。1387年、【ラドコット・ブリッジの戦い】に敗れ、妻(リチャード2世の従兄妹)の縁で
 フランスに亡命するが、1392年に暗殺。1395年、リチャード2世によりエセックスに改葬される。
ウィクリフ、ジョン(John Wycliffe c.1321-1384)
 聖職者、神学者。ヨークシャー出身で、オックスフォード大学に学び、のちに同校で教鞭をとる。宗教改革の先駆者。
 1377年、著作『聖体論』でカトリック教会の基本教義である化体説(ミサにおけるパンとワインは、キリストの肉体と血に
 変じる)を真っ向から批判したが、ジョン・オブ・ゴーントの保護を受けたため、生前は異端として迫害されずにいたが、
 死後のコンスタンツ公会議(1414年)で異端と宣告され、遺体は掘り起こされ著書とともに焼かれ、川に捨てられた。
 晩年、聖書の英訳を手掛け、死後は【ロラード派】が思想を受け継ぎ、弾圧を受けながらも、ボヘミアのヤン・フスら
 のちの宗教改革者に深い影響を与えた。
ヴィスコンティ、ガレアッツォ(Galeazzo II Visconti 1321-1378)
 ミラノ領主。
ヴィトリ、フィリップ・ド(Philippe de Vitry 1291-1361)
 フランスの詩人、作曲家。パリに生まれ、シャルル4世からジャン2世までフランス王に仕え、1351年にモー司教となる。
 1322年ごろ音楽理論書『アルス・ノヴァ・ムジカ』を著し、クレメンス6世の即位式用に3声モテトゥスを作曲。
ウィリアム1世(William I, the Lyon 1143-1214)

 スコットランド王(1165-1214)。「獅子王」

ウルバヌス5世(Urbanus V 1310-1370)

 第200代法王(1362-1370)。フランス貴族の出身。本名ギヨーム・ド・グリモアール。死後、列福される。

ウルバヌス6世(Urbanus VI 1318-1389)

 第202代法王(1378-1389)。ナポリ出身、バーリ大司教。本名バルトロメーオ・ディ・プリニャーノ。
 ローマ帰還後初の法王選出で、反発したフランス人枢機卿らが対立法王を擁立、【教会大分裂】の事態となる。

エドマンド・オブ・ウッドストック(Edmund of Woodstock 1301-1330)
 ケント伯(1321-1330)。エドワード1世の末子で、エドワード2世の異母弟。
エドマンド・オブ・ラングリー(Edmund of Langley 1341-1402)
 ヨーク公(1384-1402)。ケンブリッジ伯(1362-1402)。エドワード3世の5男。
エドマンド・クラウチバック(Edmund Crouchback 1245-1296)

 初代ランカスター伯(1267-1296)。ヘンリー3世の次男で、ランカスター家の祖。

エドワード1世(Edward I, Longshanks 1239-1307)

 イングランド王(1272-1307)。「長脛王」

エドワード2世(Edward II 1284-1327)

 イングランド王(1307-1327)、ウェールズ大公(1301-1307)

エドワード3世(Edward III 1312-1377)
 イングランド王(1327-1377)。
エドワード・オブ・アングレーム(Edward of Angouleme 1365-1372)

 エドワード黒太子の長男。1372年、ボルドーで没。

エドワード・オブ・ウィンザー(Edward of Windsor) → エドワード3世
エドワード・オブ・ウッドストック(Edward of Woodstock) → エドワード黒太子
エドワード・オブ・カナヴォン(Edward of Caernarvon) → エドワード2世
エドワード・オブ・ノリッジ(Edward of Norwich 1373-1415)

 2代ヨーク公(1402-1415)。ラットランド伯(1390-1415)。オーマール公(1397-1399)。エドマンド・オブ・ラングリーの長男。
 リチャード2世の従兄弟で寵臣。そのため、ヘンリー4世の即位後にオーマール公位を剥奪される。1415年、アジャンクールで戦死。

エドワード黒太子(Edward, the Black Prince 1330-1376)

 コーンウォール公(1337-1376)。ウェールズ大公(1343-1376)。アキテーヌ大公(1361-1375)。エドワード3世の長男。

エリナー・オブ・カスティル(Eleanor of Castile 1241-1290)

 イングランド王エドワード1世妃。

エノー伯ヴィレム3世(William III, Count of Hainault 1286-1337)
 エノー伯およびホランド伯(1304-1337)。
エンリケ2世(Enrique II, 1334-1379)

 カスティーリャ王(1366-1367、1369-1379)。【トラスタマラ朝】の開祖。
 カスティーリャ王アルフォンソ11世の庶子として生まれ、トラスタマラ伯家の養子となった。1352年以降、異母弟ペドロ1世と対立。
 ポルトガルとイングランドを味方につけたペドロ1世に対し、エンリケはアラゴンとフランスを後ろ盾に、1366年カスティーリャに侵攻。
 1367年の【ナヘラの戦い】で敗れたものの、翌1369年の【モンティエルの戦い】ではデュ・ゲクランの活躍により勝利、王位に就いた。

エンリケ3世(Enrique III, 1379-1406)

 カスティーリャ王(1390-1406)。

オードリー、ジェームス(James Audley c.1316-1369)
 イングランドの騎士。【ガーター騎士団】創立メンバー。
オードリー、ヒュー(Hugh Audley c.1291-1347)
 グロースター伯(1337-1347)。
オールトン、アダム(Adam Orleton c.1275-1345)
 ウィンチェスター司教。
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カルロス2世(Carlos II 1332-1387)

 ナバラ王(1349-1387)。エヴルー伯(1349-1387)。「邪悪王」。フランス王ルイ10世の孫にあたる。

ギャヴスタン、ピアズ(Piers Gaveston c.1284-1312)

 コーンウォール伯(1307-1312)。ガスコーニュ出身で、エドワード2世の寵臣。

クーシィ、エンゲランド・ドゥ(Enguerrand de Coucy 1339-1397)

 フランス貴族クーシィ卿。オーストリア大公アルバートの孫で、エドワード3世の長女イザベラと結婚。
 ベッドフォード伯、ガーター騎士に叙されるが、1377年リチャード2世即位時にイングランドの爵位を返上する。

クーシィ、フィリッパ・ドゥ(Philippa de Coucy 1367-1411)

 オックスフォード伯ロバート・ドゥ・ヴィア妃。リチャード2世の従兄妹。1378年、レディー・ガーターに叙任。

クラレンドン、ロジャー(Roger Clarendon c.1350-1402)

 エドワード黒太子の庶子。1402年、絞首刑となる。

クリントン、ウィリアム・ドゥ(William de Clinton 1304-1354)

 ハンティングドン伯(1337-1354)。

クレア、エリザベス・ドゥ(Elizabeth de Clare 1295-1360)
 グロースター伯女(父ギルバート・ドゥ・クレア)で、エドワード2世の姪。2代アルスター伯ジョン妃。
クレア、ギルバート・ドゥ(Gilbert de Clare 1243-1295)

 3代グロースター伯(1262-1295)。「赤い伯爵」。シモン・ド・モンフォールと決裂後は、エドワード1世の忠臣となる。
 1290年に、エドワード1世王女のジョアン・オブ・アッカと結婚し、1男3女を儲ける。

クレア、ギルバート・ドゥ(Gilbert de Clare 1291-1314)

 4代グロースター伯(1295-1314)。エドワード2世の甥。1314年、【バノックバーンの戦い】で戦死。

クレア、マーガレット・ドゥ(Margaret de Clare 1293-1342)

 グロースター伯女(父ギルバート・ドゥ・クレア)で、エドワード2世の姪。
 1307年、コーンウォール伯ピアズ・ギャヴスタンと結婚。1317年、ヒュー・オードリーと再婚。

グレゴリウス11世(Gregorius XI c.1336-1378)

 第201代法王(1370-1378)。フランス出身、クレメンス6世の甥。本名ピエール・ロジェ・ド・ボーフォール。
 1377年1月ローマに帰還し、法王の【アヴィニョン捕囚】時代に終止符を打つ。

クレメンス5世(Clemens V 1264-1314)

 第195代法王(1305-1314)。フランス出身、ボルドー大司教。本名ベルトラン・ド・ゴー。
 1308年、法王庁をアヴィニョンに移転。1312年、【ヴィエンヌ公会議】で【テンプル騎士団】の解散を命令。

クレメンス6世(Clemens VI 1291-1352)

 第198代法王(1342-1352)。フランス出身。本名ピエール・ロジェ。法王に選出される以前は、フランス国王の秘書であった。

クレメンス・ダンジュー(Clemence d'Anjou 1293-1328)

 フランス王ルイ10世妃。

グレーリー、ジャン・ド(Jean de Grailly 1331-1376)

 ボルドー南部アルカション地方、ビュックの「ル・カプタル」。通称「ビュックの隊長」。ナバラ王の従兄弟にあたる。
 【ガーター騎士団】創立メンバー。1358年、【ジャックリーの乱】を鎮圧したことが、フロワサールの『年代記』に記載されている。
 1372年、【ラ・ロシェルの海戦】で捕虜となるが、シャルル5世は釈放に応じず、5年後パリで虜囚のまま没する。

クロヴィス1世(Clovis I 466-511)

 メロヴィング朝フランク王国の初代国王(481-511)。496年、王妃クロティルダの薦めでカトリックに改宗。

ゲオルギウス(Georgius)
 イングランドの守護聖人(セント・ジョージ)。ドラゴン退治の騎士として有名。
ゲクラン、ベルトラン・デュ(Bertrand du Guesclin c.1320-1380)
 フランス軍元帥(1370-1380)。ブルターニュ出身の傭兵隊長。
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サドベリー、シモン(Simon Sudbury c.1316-1381)
 カンタベリー大司教(1375-1381)。大法官(1380-1381)。
 1381年、【ワット・タイラーの乱】でジョン・オブ・ゴーントと親交があることから農民の標的となり、ロンドン塔で殺害された。
シャルル4世(Charles IV, le Bel 1294-1328)
 フランス王(1322-1328)。「端麗王」、【カペー朝】最後の王。
シャルル5世(Charles V, le Sage 1338-1380)
 フランス王(1364-1380)。「賢明王」、税金の父とも呼ばれる。
シャルル6世(Charles VI, le Fou 1368-1422)
 フランス王(1364-1380)。「親愛王」、「狂気王」
 1392年に発狂し精神異常となったため、【ブルゴーニュ派】と【アルマニャック派】の内紛を招いた。
ジャン1世(Jean I, le Posthume 1316)
 フランス王(1316)。「遺腹王」
 1316年11月15年生。同年6月5日に父ルイ10世が死去していたため、出生と同時にフランス王に即位するが、生後4日で夭折。
ジャン2世(Jean II, le Bon 1319-1364)
 フランス王(1350-1364)。「善良王」
 1356年、【ポワティエの戦い】でエドワード黒太子率いるイングランド軍に大敗、捕虜になる。1364年、ロンドンで虜囚のまま没。
ジャン3世(Jean III de Dreux 1286-1341)
 ブルターニュ公(1312-1341)。
 継嗣を残さず没したため、公領の相続をめぐり【ブルターニュ継承戦争】に発展する。
ジャン4世(Jean IV de Montfort 1293-1345)

 前ブルターニュ公ジャン3世の異母弟で、ブルターニュ公位を主張。
 フランス王の甥ブロア伯に対抗して、イングランド王エドワード3世に支援を求める。

ジャン5世(Jean IV de Montfort 1339-1399)

 ブルターニュ公。リッチモンド伯(1372-1399)。

ジャンヌ・デヴルー(Jeanne d'Evreux 1310-1371)
 フランス王シャルル4世妃。
 1328年、夫が他界したとき彼女は懐妊中だったが、産まれたのは女児だったため、【カペー朝】は断絶し、
 摂政のヴァロア伯フィリップがフランス王に即位した。
ジャンヌ・ド・ナヴァール/フアナ1世(Jeanne de Navarre/Juana I c.1271-1305)

 ナバラ女王(フアナ1世)およびシャンパーニュ女伯(1274-1305)。1284年、フランス王フィリップ4世と結婚し共同統治者となる。

ジャンヌ・ド・ナヴァール/フアナ2世(Jeanne de Navarre/Juana II 1311-1349)

 フランス王ルイ10世とブルゴーニュ公女マルグリートの間に生まれる。
 【サリカ法】によりフランス王位継承権を放棄する代わりに、ナバラ王位を獲得。
 1328年、フランス貴族エヴルー伯(カペー家の傍流)フィリップと結婚し共同統治者となる。

ジョアン・オブ・ケント(Joan of Kent 1328-1385)

 ケント伯女(父エドマンド・オブ・ウッドストック)。
 1349年、法王勅書によりソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュートとの結婚は無効とされ、トマス・ホランドと正式に結婚。
 ホラントの死後、1361年にエドワード黒太子と再婚。1378年、レディー・ガーターに叙位。

ジョアン・オブ・タワー(Joan of the Tower 1321-1362)
 イングランド王女(父エドワード2世)。1328年、7歳でスコットランド王太子ディヴィット(当時4歳)と結婚。
ジョアン・オブ・ナヴァール(Joan of Navarre c.1370-1437)
 ナバラ王女(父カルロス2世)。ブルターニュ公ジャン5世妃。夫と死別後、1403年にイングランド王ヘンリー4世と再婚。
ジョン王(John, Lackland 1167-1216)
 イングランド王(1199-1216)。「欠地王」
ジョン・オブ・エルサム(John of Eltham 1316-1336)
 コーンウォール伯(1328-1336)。エドワード2世の2男。
ジョン・オブ・ゴーント(John of Gaunt 1340-1399)
 ランカスター公(1362-1399)。アキテーヌ公(1390-1399)。リッチモンド伯(1342-1372)。エドワード3世の4男。
スウィンフォード、キャサリン(Katherine Swynford c.1350-1403)
 ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの愛人で、1396年に正式結婚、3度目の妻となる。1387年、レディー・ガーターに叙位。
 ジョンとの間に生まれた4人の子は、1397年に嫡出子として承認され、臣籍降下してボーフォート姓を名乗った。
 妹フィリッパは、ジェフリー・チョーサーの妻である。
スクループ、ウィリアム・ル(William le Scrope c.1350-1399)
 ウィルトシャー伯(1397-1399)。
スタフォード、ヒュー(Hugh Stafford c.1342-1386)
 2代スタフォード伯(1372-1386)。1385年、長男ラルフがジョン・ホランドにより殺害。翌年、巡礼中のギリシャ・ロードスで没。
スタフォード、ラルフ(Ralph Stafford 1301-1372)
 初代スタフォード伯(1351-1372)。【ガーター騎士団】創立メンバー。
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ダングル、ギシャール(Guichard d'Angle 1380没)
 ハンティングドン伯(1377-1380)。1372年ごろ、リチャード2世の家庭教師となる。
 1378年1月、リチャード2世とフランス王女マリーとの婚約交渉のため渡仏するが、不成立。
チャンドス、ジョン(John Chandos 1370没)
 イングランドの騎士。【ガーター騎士団】創立メンバー。
チョーサー、ジェフリー(Geoffrey Chaucer c.1343-1400)
 イングランドの詩人。ロンドンのワイン商人の家に生まれ、エドワード3世の3男クラレンス公の小姓として宮廷入りする。
 外交使節として何度も大陸に渡り、ダンテやペトラルカ、ボッカッチョなどの影響を受ける。主著『カンタベリー物語』。
ディヴィット2世(David II 1324-1371)

 スコットランド王(1329-1371)。1329年に5歳でスコットランド王に即位するが、1334年から7年間フランスに亡命した。

ディスペンサー、エドワード(Edward Despenser 1336-1375)
 ディスペンサー卿。
ディスペンサー、トマス(Thomas Despenser 1373-1400)
 グロースター伯(1397-1399)。ヒュー・ル・ディスペンサー(子)の曾孫。
 リチャード2世の忠臣で、ヘンリー4世により爵位を剥奪される。1400年、挙兵するがブリストルで捕まり、断頭刑となる。
ディスペンサー、ヒュー・ル(父)(Hugh le Despenser the elder 1262-1326)
 ウィンチェスター伯(1322-1326)。エドワード2世の寵臣。
ディスペンサー、ヒュー・ル(子)(Hugh le Despenser the younger 1286-1326)
 ディスペンサー卿。ヒュー・ル・ディスペンサー(父)の子で、エドワード2世の寵臣。1326年11月26日、処刑される。
ディスペンサー、ヘンリー(Henry Despenser c.1341-1406)
 聖職者。ノリッジ司教で、リチャード2世の忠臣。ヒュー・ル・ディスペンサー(子)の孫にあたる。
 1381年の農民一揆では容赦なく鎮圧、1383年にはアヴィニョン十字軍計画を実行、フランドルに遠征するも成果なく帰国。
 リチャード2世の廃位後、ヘンリー4世によって一時投獄された。
ドゥンス・スコトゥス、ヨハネス(Johannes Duns Scotus c.1365-1308)
 フランシスコ会士のスコラ哲学者、神学者。スコットランドのドゥンスに生まれ、オックスフォードとパリ大学で神学を修める。
 アリストテレスやトマス・アクィナスを批判し、その緻密な思想から「難解博士(Doctor Subtilis)」と通称された。
トマス・オブ・ウッドストック(Thomas of Woodstock 1355-1397)
 グロースター公(1385-1397)。バッキンガム伯(1377-1397)。エセックス伯(1376-1397)。元帥卿(1372-1397)。
 エドワード3世の8男で、【訴追派貴族】の1人。1397年、大逆罪で逮捕され追放、カレーで暗殺される。
トマス・オブ・ブラザートン(Thomas of Brotherton 1300-1338)
 ノーフォーク伯(1312-1338)。軍務卿(1315-1338)。エドワード2世の異母弟。
トマス・オブ・ランカスター(Thomas of Lancaster c.1277-1322)

 2代ランカスター伯(1298-1322)。エドワード2世の従兄弟。
 【改革勅令委員会】の指導者として、国王と対立。1322年、【バラブリッジの戦い】で敗れ処刑される。

ドリュー、ジャンヌ・ド(Jeanne de Dreux 1319-1384)
 パンティエーヴル伯女(父ギー)で、女子相続人。ブロア伯シャルル妃。
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ネヴィル、ラルフ(Ralph Neville c.1364-1425)
 ウェストモーランド伯(1397-1425)。軍務伯(1400-1412)。
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パーシー、トマス(Tomas Percy c.1343-1403)

 ウスター伯(1397-1403)。

パーシー、ヘンリー(Henry Percy 1341-1408)

 ノーザンバラント伯(1377-1405)。軍務卿(1377)。

バドゥルスミア、バーソロミュー(Bartholomew Badlesmere 1275-1322)
 バドゥルスミア男爵。【バノックバーンの戦い】での敗戦以降、中間派貴族としてペンブルック伯らとともに政局をリード。
 1321年、妻マーガレットが王妃イザベラのリーズ城入城を拒否、内乱に発展し、【バラブリッジの戦い】後に処刑された。
バラ、ウィリアム・ドゥ(William de Burgh 1312-1333)

 アルスター伯(1326-1333)。

バラ、エリザベス・ドゥ(Elizabeth de Burgh 1332-1363)

 アルスター伯女(父ウィリアム)で、女子相続人。
 1352年、ライオネル・オブ・アントワープと結婚し一女をもうける。1363年、ダブリンで没。

バーレイ、シモン(Simon Burley c.1336-1388)
 リチャード2世の家庭教師で、寵臣。1388年、【無慈悲議会】により逮捕、処刑される。
ハンフリー・プランタジネット(Humphrey Plantagenet 1381-1399)

 バッキンガム伯(1397-1399)。元帥卿(1397-1399)。トマス・オブ・ウッドストックの長男。

ビーチャム、ウィリアム(William Beauchamp c.1343-1411)
 ベルガヴェンニー男爵(1392-1411)。ジョン・オブ・ゴーントに仕え、チョーサーとも親交。【ロラード派】貴族。
ビーチャム、ガイ・ドゥ(Guy de Beauchamp c.1272-1315)
 10代ウォーリック伯(1298-1315)。【改革勅令委員会】の1人で、【バノックバーンの戦い】では出兵を拒否。
 1315年に急死する(毒殺?)。ラテン語に精通し、教養ある人物と言われた。
ビーチャム、トマス(Thomas Beauchamp 1314-1369)
 11代ウォーリック伯(1315-1369)。【ガーター騎士団】創立メンバー。
ビーチャム、トマス(Thomas Beauchamp 1338-1401)
 12代ウォーリック伯(1369-1401)。【訴追派貴族】の1人。1397年、大逆罪で逮捕、ロンドン塔に投獄される。
フアン1世(Juan I 1358-1390)
 カスティーリャ王(1379-1390)。
フィッツアラン、エドマンド(Edmund Fitzalan 1285-1326)
 9代アランデル伯(1302-1326)。【改革勅令委員会】の1人で、【バノックバーンの戦い】では出兵を拒否。
 息子リチャード(10代伯)の結婚によりディスペンサー家と縁組以降は国王派にまわり、1326年に処刑される。
フィッツアラン、エリザベス(Elizabeth Fitzalan 1366-1425)

 アランデル伯女(父11代リチャード・フィッツアラン)。トマス・モーブレー夫人。1386年、レディー・ガーターに叙位。 

フィッツアラン、リチャード(Richard Fitzalan c.1307-1376)
 10代アランデル伯(1331-1376)。9代サリー伯(1361-1376)。
フィッツアラン、リチャード(Richard Fitzalan 1346-1397)
 11代アランデル伯、10代サリー伯(1376-1397)。【訴追派貴族】の1人。1397年、大逆罪で逮捕、処刑される。
フィリッパ・オブ・エノー(Philippa of Hainaut c.1311-1369)
 エノー伯女(父ヴィレム3世)。イングランド王エドワード3世妃。
 1358年、【ガーター騎士団】初の女性団員(レディー・ガーター)となる。
フィリッパ・プランタジネット(Philippa Plantagenet 1355-1380)

 ライオネル・オブ・アントワープの一人娘で、アルスター伯の女子相続人。
 1368年、3代マーチ伯エドマンド・モーティマーと結婚し、その子孫が王位継承者に指名される。

フィリップ3世(Philip III, le Hardi 1245-1285)
 フランス王(1270-1285)。「大胆王」
フィリップ4世(Philip IV, le Bel 1268-1314)
 フランス王(1285-1314)。「美麗王」
フィリップ5世(Philippe V, le Long 1291–1322)
 フランス王(1316-1322)。「長身王」
フィリップ6世(Philippe VI de Valois 1293-1350)

 フランス王(1328-1350)。【ヴァロア朝】の開祖。

ブークヘルシュ、バーソロミュー(Bartholomew Burghersh 1309-1369)
 ブークヘルシュ男爵(1355-1369)。【ガーター騎士団】創立メンバー。
ブランシュ・オブ・ランカスター(Blanche of Lancaster 1345-1369)

 ランカスター公女(父ヘンリー・オブ・グロスモント)で、女子相続人。
 1359年、エドワード3世の4男ジョン・オブ・ゴーントと結婚。1369年、腺ペストのため没。

ブルース、エドワード(Edward Bruce c.1276-1318)
 スコットランドの王族で、ロバート・ブルースの弟。1315年にアイルランドに侵攻し、翌年アイルランド王として即位するが、
 1318年の【ダンドーグの戦い】でイングランド・アイルランド軍に破れ、戦死する。
ブルース、ロバート(Robert Bruce) → ロバート1世
ブロア、シャルル・ド(Charles de Blois 1319-1364)

 ブロア伯。フランス王フィリップ6世の甥。
 1341年、妻ジャンヌが前ブルターニュ公ジャン3世の姪にあたることから、フランス王によりブルターニュ公の継承を認められる。

フロアサール、ジャン(Jean Froissart c.1337-c.1410)
 フランスの聖職者、詩人、年代記作家。エノー出身で、1361年に渡英しイングランド王妃フィリッパの秘書を勤めた。
 1365年にスコットランド、1368年にミラノを訪れクラレンス公ライオネルの結婚式に出席、チョーサーやペトラルカと親交を持つ。
 1369年、フィリッパ・オブ・エノーが他界後に帰国し、その後リュクサンブール公やブロワ伯の庇護を受ける。
 1372年に聖職者となり、1394年に再び渡英、リチャード2世に歓待される。彼の『年代記』は1327年から1400年まで記述されている。
ブーン、ウィリアム・ドゥ(William de Bohun 1312-1360)
 初代ノーザンプトン伯(1337-1360)。4代ヘレフォード伯の4男(双子)で、死後、息子ハンフリーが本家を継ぐ。
ブーン、ハンフリー・ドゥ(Humphrey de Bohun c.1276-1322)
 4代ヘレフォード伯(1297-1322)、3代エセックス伯、元帥卿(1398-1322)。【改革勅令委員会】の1人。
 【バノックバーンの戦い】で捕虜となり、ロバート・ブルースの妻と交換に解放。1322年、【バラブリッジの戦い】で戦死。
ブーン、ハンフリー・ドゥ(Humphrey de Bohun 1342-1373)
 7代ヘレフォード伯、6代エセックス伯、2代ノーザンプトン伯、元帥卿(1361-1373)。男子相続人なし。
 女子共同相続人のうち、長女エリナーはトマス・オブ・ウッドストックと、次女メアリーはヘンリー・ボリンブルクと結婚した。
ベイリオル、エドワード(Edward Balliol c.1284-c.1364)
 ジョン・ベイリオルの長男で、スコットランド王位請求者。1324年にイングランドに移り、1329年に幼王ディヴィット2世が
 即位すると王位請求を画策し、エドワード3世の援助を得て、1332年の【ダプリン・ムーアの戦い】で勝利。スコットランド王を
 宣言するが、エドワード3世に【臣従誓約】をとったことで貴族の反感を買い失脚、【ハリドン・ヒルの戦い】につながった。
 名目上は復位するものの、実権はディヴィット2世の摂政ロバート・スチュアートが握り、1338年イングランドに移り事実上引退。
ベイリオル、ジョン(John Balliol c.1250-1313)
 スコットランド王(1292-1296)。マーガレット・オブ・ノルウェイ没後、王位競争者として争い、1292年にエドワード1世の
 傀儡として王位に就くが、1295年にフランス王フィリップ4世と同盟を結ぶ。エドワード1世への【臣従誓約】を拒否して、
 イングランドに侵攻するも、1296年の【ダンバーの戦い】でイングランド軍に破れ、廃位。ロンドン塔に幽閉された。
ペトラルカ、フランチェスコ(Francesco Petrarca 1304-1374)
 イタリアの詩人、人文主義者。モンペリエ大学、ボローニャ大学で法学を学び、コロンナ枢機卿の秘書となる。
 1341年、ローマ元老院より桂冠詩人の称号が与えられる。人妻ラウラへの愛をつづった一連の恋愛叙事詩が有名。
ペドロ1世(Pedro I, el Cruel 1334-1369)

 カスティーリャ王(1350-1366、1367-1369)。「残虐王」、【ブルゴーニュ朝】最後の王。
 1366年、異母兄エンリケ2世に王位を追われアキテーヌに亡命、エドワード黒太子の援軍を得て【ナヘラの戦い】で勝利、
 復位するが、1369年の【モンティエールの戦い】ではフランスから援軍を得たエンリケ2世軍に敗北、戦死する。

ヘイスティングス、ジョン(John Hastings 1347-1375)
 2代ペンブルック伯(1348-1375)。1372年、【ラ・ロシェルの海戦】で捕えられ、虜囚のままフランスで没。
ベネディクトゥス11世(Benedictus XI 1240-1304)
 第194代法王(1303-1304)。トレヴィーゾ出身。本名ニコラス・ボッカシーニ。
 法王選出後、わずか8ヶ月で急死。没後、福者に列せられる。
ベネディクトゥス12世(Benedictus XII 1285-1342)
 第197代法王(1334-1342)。フランス出身。
ペラーズ、アリス(Alice Perrers c.1348-1400)
 エドワード3世の愛妾。王妃フィリッパ・オブ・エノー付の女官だった。
 王妃の没後、エドワード3世と関係を持ち、二男二女をもうける。1376年の【善良議会】で弾劾、追放処分となる。
ヘンリー2世(Henry II 1133-1189)
 イングランド王(1154-1189)。フランス貴族アンジュー伯家出身で、【プランタジネット朝】の開祖。
 1154年イングランド王に即位し、父から相続したアンジュー伯領、ノルマンディー公領、妻アリエノールのアキテーヌ領を含む
 広大な「アンジュー帝国」を支配したが、晩年は領土の分配をめぐって妻や息子たちの反乱にあい、失意のうちに没した。
ヘンリー3世(Henry III 1207-1272)
 イングランド王(1216-1272)。
ヘンリー4世(Henry IV 1366-1413)
 イングランド王(1399-1413)。ヘレフォード公(1397-1399)。ノーザンプトン伯(1384-1399)。【ランカスター朝】の開祖。
 1388年の【無慈悲議会】において、【訴追派貴族】の1人だった。1398年に国外追放処分となり、フランスへ亡命。
ヘンリー5世(Henry V 1387-1422)
 イングランド王(1413-1422)。
ヘンリー6世(Henry VI 1421-1471)
 イングランド王(1422-1461、1470-1471)。
ヘンリー・オブ・グロスモント(Henry of grosmont c.1306-1361)
 初代ランカスター公(1351-1362)。【ガーター騎士団】創立メンバー。
ヘンリー・オブ・モンマス(Henry of Monmouth) → ヘンリー5世
ヘンリー・オブ・ランカスター(Henryl of Lancaster 1281-1345)
 3代ランカスター伯(1326-1345)。2代伯トマスの弟で、1324年に爵位相続。1330年ごろ、失明する。
ヘンリー・ボリンブロク(Henry Bolingbroke) → ヘンリー4世
ボニファティウス8世(Bonifatius VIII 1235-1303)
 第193代法王(1294-1303)。1303年、【アナーニ事件】で屈辱を受け、憤死。
ボニファティウス9世(Bonifacius IX 1350-1404)
 第203代法王(1389-1404)。
ボッカッチョ、ジョヴァンニ(Giovanni Boccaccio 1313-1375)
 イタリア・フィレンツェの詩人、散文作家。
ボーフォート、ジョン(John Beaufort c.1371-1410)
 サマーセット伯(1397-1410)。ドーセット候(1397-1499)。ヘンリー4世の異母弟。
ホランド、エドマンド(Edmund Holland 1383-1408)
 4代ケント伯。
ホランド、ジョン(John Holland c.1352-1400)
 エクセター公(1397-1399)。ハンティングドン伯(1387-1400)。式部卿(1389-1399)。リチャード2世の異父兄。
ホランド、トマス(Thomas Holland 1314-1360)
 ケント伯。【ガーター騎士団】創立メンバー。
ホランド、トマス(Thomas Holland 1350-1397)
 2代ケント伯(1381-1397)。リチャード2世の異父兄。
ホランド、トマス(Thomas Holland c.1374-1400)
 3代ケント伯(1397-1400)。サリー公(1397-1399)。軍務伯(1398-1399)。
ボール、ジョン(John Ball 1381没)
 聖職者。【ワット・タイラーの乱】における指導者の1人。ウィクリフの教えに心酔し、狂信的説教者として破門、投獄される。
 1381年6月12日、ブラックヒースで「アダムが耕し、イブが紡ぎし時、誰がジェントルだったのか」と演説し、農民軍を鼓舞した。
 反乱鎮圧後、コヴェントリーで逮捕され、セント・オールバンズで絞首刑となった。
ポール、マイケル・ド・ラ(Michael de la Pole c.1330-1389)
 初代サフォーク伯(1385-1388)。大法官(1383-1386)。リチャード2世の寵臣。
 1385年、商人出身者で初の伯位に叙爵されるが、1388年の【無慈悲議会】で爵位を剥奪される。亡命先のパリで没。
ポール、マイケル・ド・ラ(Michael de la Pole c.1367-1415)
 2代サフォーク伯(1398-1399剥奪、1399復位-1415)。
ま行 UP
マーガレット、メイド・オブ・ノルウェイ(Margaret, Maid of Norway 1283-1290)

 スコットランド女王(1286-1290)。「ノルウェイの乙女」

マーガレット・オブ・フランス(Margaret of France 1282-1317)

 フランス王女(父フィリップ3世)。イングランド王エドワード1世妃。

マーガレット・オブ・ノーフォーク(Margaret of Nofolk c.1320-1399)

 ノーフォーク伯女(父トマス・オブ・ブラザートン)で、女子相続人。軍務卿(1338-1377)。
 1337年にジョン・ドゥ・セグレーヴと結婚するが1353年に死別。翌1354年にウォルター・マニーと再婚する。
 ノーフォーク伯(公)位は、孫のトマス・モーブレーが相続する。

マニー、ウォルター(Walter Manny[Mauny] c.1310-1372)

 マニー男爵(1347-1372)。ヴァランシェンヌ出身で、フィリッパ・オブ・エノーの婚礼時に随行。
 1350年ごろからマーガレット・プランタジネットと関係を持ち、1354年に結婚。1女アンが女子相続人となる。

マルグリート・ド・ブルゴーニュ(Marguerite de Bourgogne 1283-1290)

 ブルゴーニュ公女(父ロベール2世)。
 1305年、いとこのルイ(後のフランス王ルイ10世)と結婚するが、姦通罪で投獄される。

メアリー・プランタジネット(Mary Plantagenet 1344-1362)
 イングランド王女(父エドワード3世)。ブルターニュ公ジャン5世妃。
モーティマー、エドマンド(Edmund Mortimer c.1351-1381)

 3代マーチ伯(1360-1381)。アイルランド総督。
 1368年、クラレンス公ライオネルの一人娘フィリッパと結婚し、アルスター伯位を得る。

モーティマー、エドマンド(Edmund Mortimer 1391-1425)

 5代マーチ伯、アルスター伯(1398-1425)。

モーティマー、ロジャー(Roger Mortimer 1287-1330)

 初代マーチ伯(1328-1330)。王妃イザベラ・オブ・フランスの愛人。
 1308年、アイルランド統監に任命。1322年に反逆罪でロンドン塔に投獄されるが、1324年脱獄しフランスに逃亡。

モーティマー、ロジャー(Roger Mortimer 1328-1360)

 2代マーチ伯(1348-1360)。【ガーター騎士団】創立メンバー。初代マーチ伯の孫。

モーティマー、ロジャー(Roger Mortimer 1374-1398)

 4代マーチ伯(1381-1398)。アルスター伯(1382-1398)
 リチャード2世により、王位継承者に指名される。

モーブレー、トマス(Tomas Mowbray 1366-1399)

 ノーフォーク公(1397-1399)。ノッティンガム伯(1383-1399)。軍務卿[伯](1383-1398)。
 【訴追派貴族】の1人。1398年、グロースター公の暗殺を巡ってヘンリー・ボリンブルクと決闘、終身国外追放となる。

モレー、ジャック・ド(Jacques de Molay 1314没)
 第23代【テンプル騎士団】総長(1292-1314)。
モンタキュート、ウィリアム(William Montacute 1301-1344)
 初代ソールズベリー伯(1337-1344)。
 1333年、【ハリドン・ヒルの戦い】における功績により、マン島宗主権を得る。1344年、【トーナメント】中の事故により死亡。
モンタキュート、ウィリアム(William Montacute 1328-1397)
 2代ソールズベリー伯(1337-1344)。【ガーター騎士団】創立メンバー。
 1341年頃ジョアン・オブ・ケントと結婚するが、1349年に無効とされる。1355年にエリザベス・ドゥ・ムーンと結婚、
 1383年に一人息子のウィリアムを【トーナメント】で失い、甥のジョンが3代ソールズベリー伯となった。
モンタキュート、ジョン(John Montacute 1350-1400)
 3代ソールズベリー伯(1397-1400)。2代伯ウィリアムの甥。リチャード2世の忠臣で、廃位前にボルドー脱出を勧める。
 【ロラード派】貴族として知られ、フランスの女流詩人クリスティーヌ・ド・ピサンとも交流があった。
モンフォール、ジャン・ド→ジャン4世
モンフォール、ジャン・ド→ジャン5世
や行 UP
ヨハネス22世(Ioannes XXII c.1244-1334)

 第196代法王(1316-1334)。フランス出身。本名ジャック・ドゥーズ。

ら行 UP
ライオネル・オブ・アントワープ(Lionel of Antwerp 1338-1368)
 クラレンス公(1362-1368)、アルスター伯(1347-1368)。エドワード3世の3男。
ラティマー、ウィリアム(William Latimer 1320-1381)

 ラティマー男爵。ジョン・オブ・ゴーント派の王室私財官。1376年、【善良議会】で弾劾される。

リチャード1世(Richard I, Cœur de Lion 1157-99)
 イングランド王(1189-1199)。「獅子心王」
 母アリエノールのお気に入りで、1170年にアキテーヌ公位を授けられる。
リチャード2世(Richard II  1367-1400)
 イングランド王(1277-1399)。エドワード黒太子の次男。
リチャード・オブ・ボルドー(Richard of Bourdoux) → リチャード2世
ルイ9世(Louis IX, Saint Louis 1214-1270)
 フランス王(1226-1270)。「聖王」。敬虔なキリスト教徒で、1297年に列聖される。
ルイ10世(Louis X, le Hutin 1289-1316)

 フランス王(1314-1316)。「喧嘩王」

レイシー、アリス・ドゥ(Alice de Lacy)

 リンカン伯女(父ヘンリー・ドゥ・レイシー)で、女子相続人。ランカスター伯トマス妃。
 1317年、サリー伯ジョン・ドゥ・ワーレンと駆け落ち、ランカスター伯トマスと離婚。

レイシー、ヘンリー・ドゥ(Henry de Lacy 1249-1311)

 リンカン伯(1272-1311)。エドワード1世以来の忠臣。ランカスター伯トマスは娘婿。
 1310年、【改革勅令委員会】発足に加わるが、すぐ国王派に戻り、翌1311年に没する。

ロバート1世(Robert I, the Bruce 1274-1329)
 スコットランド王(1306-1329)。【ブルース朝】の開祖。
ロバート2世(Robert II 1316-1390)

 スコットランド王(1371-1390)。【ステュワート朝】の開祖。

わ行 UP
ワーレン、ジョン・ドゥ(John de Warenne 1286-1347)

 サリー伯(1304-1347)。サセックス伯(1305-1347)。【改革勅令委員会】の1人であったが、
 1317年にアリス・ドゥ・レイシーと駆け落ちし、ランカスター伯に所領を没収された(1319年和解)。
 以後、【バラブリッジの戦い】では国王派につき、エドワード3世の即位後は摂政団の一員となった。

MainPage【金雀枝の系譜】






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